占いTMproduce代表取締役兼心理セラピストカウンセラー

18ヶ月で気合で-23㎏減量。私自身本業の他にYoutuber占い師に女風やアロマの仕事やファッションサイトを運営をしています、大型免許や韓国語、不動産人と多く関わる事から心理カウンセラーや心理学の資格も取得しました。 https://lit.link/haruharu0724

衝撃!!耐性の無い方は絶対に見ないでください。ホストの世界に飛び込み

ホストの世界に飛び込み、働く事になった僕。

 

 華やかなイメージとは裏腹の闇の部分を垣間見てどうなっていくのでしょうか〜。 という事で前回からの続きです。  

 

毎日見えない所で飛び交う怒号や暴力に晒されながらお酒を飲んでは吐くを繰り返す生活。仕事が終わっても強制的にパチンコに連れられていく日々を送り仕事に対する楽しさを全く見いだせない僕。  

 

そんな中ある時外でキャッチをしているとみよしのぎょうざという北海道では有名な餃子チェーン店があるのですが、そこで餃子を2パックも無料でいただけた事がありました。 その日は寒い冬の日ですさんだ日々の中において人の暖かさと久しぶりの嬉しい気持ちとで頂いたその餃子はとても美味しかったのを今でも覚えています。

 

 そしてここからが僕が見たホストの闇の部分です!! ちょっとショッキングだったりホストに関して夢を持っている方がいたらご注意ください ホストという職業は接客業です。

 

 前回もお話しましたが、お客様があってナンボの商売です。 ある時うちのお店が他店のホストとお客様の奪い合いで揉めるという事件が起きました。 どうやらこういった事は日常茶飯事だったりするみたいですが、裏手にお酒の倉庫があってそこで乱闘のような事があったようです。 営業時間中にも関わらずです。

 

まずはお客さんの前で売れないホストがガスバーナーで陰毛を焼かれたりしました、僕もそれをやり、部分が真っ赤になったのと、ほぼそれは焼けてなくなりました。

 

 中には血だらけになったホストもいてまるで地獄のような状況でした。 他にもお店の2の人が同じビルに入っている別のお店の違うホストと揉めた事がありました。 すると揉めたお店のオーナーが出てきて、鏡月の瓶で頭をかち割って血だらけになるというような事件もありました。 

 

ヤクザ映画が好きな人も裸足で逃げ出すような展開です。 僕は本当に命がいくつあっても足りないな、と恐怖した覚えがあります^^; ホストには1日体験というものがあるんですが、こんな事が日常的に起きていたので途中で帰る人や入店したとしても1日で辞める人も沢山見てきました。

 

 また、ホストのお店は夜営業しますが、自分たちは昼夜逆転の生活を送っているので朝から目が血走っていたり、目の焦点があっていないようなヤバい人も沢山いました^^; この生活が4ヶ月ほど続きましたが、いよいよ自分のメンタル的にも限界に達しつつありました。

 

 僕もここの環境にいたら、自分を失うどころか、人が変わってしまうと思い始めました。そして追い詰められた僕がもうやめよう、と思った決定的な事が頼れる人がいなくなった、という事でした。 以前お話させてもらった僕をお店に紹介してくれた先輩ですが、お店の環境や売り上げを上げて良い成績をとってまるで人が変わったように暴力的になっていき、もう終わりだな、と僕は思い辞める事になったのです。

 

辞める、とは言ってもこのようなお店なんで普通のバイトのように辞めると言っても「わかりました」という返事の代わりに鉄拳制裁が返ってくるのは目に見えてました。 だから僕はうまく隙ついて無断で辞める事にしました。 いわゆるバックレってやつですね(笑) それでスパッと辞める事は出来たのですが、

 

僕はこの一件以来すすきのに行けばお店の知り合いに見つかるかもしれない恐怖と嫌な思い出のトラウマとで近づけなくなってしまいました。しばらくは対人恐怖になり、地元でひっそり 、電話が鳴るのも怖かったし、何か月もの間親以外は電話掛かってこないようにしていました。

 

今では心理学とか心理カウンセラーの資格や、セラピスト、占いなどやっていますが、この時は心理もくそもありませんでした。

 

 まぁこういう形で僕のホスト経験は恐怖感でいっぱいで華やかなイメージとは真逆の思いをしましたが、だからこそそれからの自分の人生に得られた事もあります。 簡単には物怖じしない度胸です。 その度胸がついた事で色々な事に挑戦したりしよう、とも思えるようになりました。

 

 色々な事に挑戦した件についてはまた別の機会でお話させて頂きたいです!これを読んで頂いた皆さんも人生において失敗したな、とかここで別の道に行けばな〜とか思った事もたくさんあると思います。 でも、それらの経験も何かしら学んだり吸収した事があると思います。 

 

その経験を僕のようにブログで色んな人に見てもらったり、得られた経験から次はこういう時こうしよう、など人生の選択肢が広がっていくと思います。

 

今回はホスト時代の経験について書かせてもらいましたが、読んでくれた人に少しでも何か感じてもらえたりしたら嬉しいなと思います。 それではまた次の記事でお会いしましょー

 

 

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衝撃!!耐性の無い方は絶対に見ないでください。ホストの話

おはようございます!本日も足を運んでいただきありがとう御座います。

 

今回はホストのお店に入店してからのお話!

で、ホストという世界について聞いた時皆さんはどう思いますかね?

僕は当時雑誌などで見ていて思ったのがキラキラ笑顔で、まるで別世界にでも吸い込まれるのではないかというようなイメージでした。

 

そして僕の周りの人でもホストになる人がいたり、これで自分もモテるかな〜なんて考えで勢いで飛び込んだ世界ですが・・・

この時の自分はこれから待ち受けている想像を絶する世界をまだ知らなかったのでした

 

 

高校卒業後18歳の僕はアルバイトもろくにした事もなかったのでいきなりホストの仕事をするのは何をしたらいいのか分からなくて大変でした。

なんやかんやありましたがそんな僕でもなんとついに指名をいただく機会が!!☺️

 

ある日若いお客様がいらっしゃいました。

その方はどうやらお目当てのホストがいるようで、入店時にボーイさんと話したりしながら辺りをキョロキョロと確認しているようでした。

お目当ての人がいなかったようですが、そのまま遊んでいかれるとの事。

そして僕はそのお客様にヘルプで入ることに〜!

 

そのままそのお客様に指名をいただき、僕の心の中では驚きと嬉しさが混じりながらお客様のお相手をさせて頂きました

色々お話を聞いてみると年齢も18歳で僕と同い年だったそうで!

親近感を持ちながら色々お話させてもらいましたが、そのお客様はあれよあれよと色々なお酒などを入れてくれて最終的には50万円分僕に入れてくれて・・・。

卒業後すぐにこの世界に飛び込み、他のアルバイトなどでもこんな金額をみた事がない僕は50万円という金額は一体何がなんだか分からなくなるような途方もない金額でした。

その頃はギャルサー上がりで以前のブログでも話したチケットのノルマからすると。

 

こ指名された事と入れていただいた金額の大きさというダブルの驚きがあり、僕にとってとても印象に残った出来事でした。

 

 

しかし、いい事だけではなくすすき野でのホスト生活の日々は本当に大変でした。

そのうちのひとつがお酒でした。

僕はまだ卒業して間もないし、お酒の席というのは普通少しずつ積み重ねて慣れていくものだと思っています。

 

ところがどっこい!

ホストという職業はお客様にお酒を入れてもらい、沢山飲んで一緒に楽しんでもらう事が仕事!

僕は慣れないながらもお客様に入れていただいた毎日毎日お酒を飲んでは吐いて、飲んでは吐いての繰り返しでした!!

まるでお寺のお坊さんが寒い中滝に打たれる修行をするように、ひたすら「お酒を飲む事」に対する修行のような日々。

毎日お酒を飲む生活だったからか家に帰ると親にもトイレの後が酒臭いと言われるようになりました^^;

 

 

そんなこんなでホスト生活を続けていると外からは見えない闇の部分もよく目に入るようになってくるんですよね・・・。

例えば皆さんがイメージしやすいものでいうとシャンパンコール。

よくテレビとかでもやっているアレです

シャンパンコールの声が小さいと他の人からは見えない裏側にある非常階段に連れて行かれて殴られて蹴られて制裁を受けることもありました。

いわゆる体育会系ってやつですね・・・。

 

シャンパンコール自体が高価なシャンパンを入れてくれたお客様に対するお礼というか、ホスト達も精一杯盛り上げてシャンパンを入れてくれたお客様に楽しんでもらおう!というものでもあるので大事な事であるのはわかります。

しかし、見えないところで殴ったり蹴ったり暴力で教えるのはどうなのかな〜と僕は思いました。

勿論、その状態のままお客様の前に立つと究極の接客をしなければなりません。これは僕のお店だけなのか業界全体としてこういう傾向なのかはわかりませんけどね!

 

後お店はお客様に来ていただいてナンボな所もあるので、お客様をお呼びできなかった場合にも制裁を受けたりします。

ピッチャーにウィスキーと焼酎とビールやらテキーラやら色々なものを混ぜ合わせたものを飲まされたり・・・。

もっとひどい人なんかだと、お店のNo1の人に仕事終わりの革靴の中にその飲み物を入れて飲まされたりしている人もいましたね。

そういう意味では僕はまだマシだったんだなと思います。

 

そして次回は僕が入ったお店の闇の部分についてお話しようと思います!!

続く

 

胸糞悪い話すみませんすこしほっこりしてください、占い師やってますなぜかいきついた。。良かったらみてあわよくばコメントして頂けたらなまら嬉しい!かも! 

 

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サークルの卒業

F高校の卒業と同時にサークルの卒業に時期も迎えました、卒業かというと自然消滅に近いかもしれませんね(._.)笑

 

僕は、卒業後の事なんて何も考えていませんでした、なんか卒業が頭にはあるけどそんなことより卒業したら自由だ☺と考えるくらいの感覚でした。

 

卒業後、大学の試験も1つは、寝坊して受けれず、前もう一つの学科も前の日になって勉強するというくらに本当に舐めていたので、当然受からずにぷー太郎決定しました。

 

何をしようと毎日、自動車学校を通うだけの毎日でしたので学校に通ってた時とは生活とはがらりとスタイルが変わりましたよね。夜更かしや、友達と遊んだり、周りは大学とか通ったりしている人ばかりだったので、なんか周りが楽しく見えましたね。大学でそれぞれ仲間が出来て、キャンパスライフ?ってやつですか?羨ましく感じました。

 

そして、ある日高校時代に忘れましたが、祭りか何かで出会ったHさんという、少し不良じみた人から連絡が来て、

 

H『今、なにやってるの?』

 

私『何もしてないです、プーです』

 

H『そうか、じゃあホストやらない?今すすきのでやってるんだよね』

 

私『マジすか?いいすねやりたいす!』

 

私は、2つ返事で返しました、というのもサークルに所属していた時に狸小路でビラ配りをいていて、ホストの人に声を掛けられ、

 

ホ『ホストやらない?』?と声をかけられて、

 

私『え、高校生でも大丈夫ですか?』

 

ホ『高校生か、駄目だわ。てか高校生にみえないなオッサンくさいぞ』

 

私『............』

 

確かに髪は高校通ってて黒髪で少し短かったけどさ、高校生だわ!笑   どういうつもりで声かけたんだ笑

 

そんな感じでホストには興味があったけど、することが出来なかったので、

 

電話来たときは2つ返事で返しました。

 

じゃあ今度一度体験入店こいよ、

 

分かりました、いきます☺

 

そして当日体験入店をして、夜の19時から朝の9時まで、んで5000円。  ひどい割合の給料計算だ。この時は今見たく1部、2部、3部と分けて営業する時代ではなかったので、毎日オールしている感覚ですね。

 

それで無事入店も決めてとりあえずやっていこうと決めました。

 

はい、本日はここまでにします☺

入店してからの悲惨なお話はまた次回します(^_-)-☆

では本日も足を運んでいただき有難うございました。それでは

 

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事故。。

皆様こんばんは、本日も足を運んでいただき有難うございます。前回はサークルでの活動の話をしました、今回はその後のサークル移籍した後の第②のサークル活動についてお話ししたいと思います。

 

移籍した先のサークルは全員メンズサークルでした、そしてその当時あったメンズサークルの中では大きいほうで、イベントなども前のサークルより大きいイベントなどに参加出来たり、その当時はeggとかmen,s eggとか(当時の最高級ギャル雑誌)のモデルが参加するイベントなどにもイベンターで参加して、そのサークルに入ってただけでかなり知名度はかなりありました。

 

それくらいイベントがあると、相当ノルマもきついしチケット代も、前のサークルのイベントの時より高いんですよね、3500円、4000円はザラでした、

 

中でもホストが主催するイベントなんかは8000円なんて高額なものもあり、とてもじゃないけど高校生の僕にはハードルが高すぎました、、

 

でも、高くてもノルマはあまりなくて、そのうえフライヤーにはかなり載ることが多かったんでその点で、良かったです。

 

そして、所属して三か月くらい経って、夏に海イベントをやるとのことで話が回ってきて、うちのサークルも手伝うことに、チケットは一枚5000円ノルマ15枚、、当時学生の私にとっては頭が痛くなるような数字でした、

 

もちろん、決まったその日から学校帰りにいつもの狸小路でビラ配り、ネット出会い系みたいなので販売活動、前略で絡んできた人などに必死な思いで行動しまくりました、

 

そしてなんとか12枚は売ることが出来ました、自分でも当時よくやったなとは思います。 10枚以上売ることが出来れば自腹は避けることが出来るのでギリギリクリアです。また、そのほかのメンバーも売れたみたいでみんなで頑張ったと感じた瞬間でした。

 

そして、海イベントの日がやってきて、僕らはスタッフなので、昼には海について機材の準備などをしなければいけないので、早く家を出ました。

 

海まで向かうのに当時まだ免許を持っていなかったので、一つ上の先輩がレンタカーを借りて行くことになりました。そいつはいつもサングラスをかけていたのでSと呼びましょう。

 

そして海につき準備をして、バタバタ設営をしていたら、イベントの時間が近づいてきて、ノルマ代や余りのチケットの回収をする時間になりました、

 

僕は、車の中にチケットを置いておいていたので、Sに「車にチケット取りに行ってきてもいいですか?」と言って鍵を借りて車に向かいました。

 

車に着いて、ドアを開けてチケットの入った服のポケットに手を入れた瞬間。。。『ない・・・・・・・!!!』

 

『やべえ、まっじやべえ』頭が真っ白になりました。こんなんでチケット無くなったなんてなったら、マジでボコられんだろみたいな。。

 

海もかなり盗難事件が多発していたので、マジ最悪だと思いながら、Sのところに行き『チケット無くなりました』と伝えました。するとSは『マジで?ちゃんと調べたの』『向かうときに寄った店とかに置いて来てない?』みたいな怒るわけでもなく、軽い口調でした。

 

とりあえず、行きの時寄った店に戻ろうみたいになって、向かうときに寄ったホームセンタ―にSと行きました、案の定お店の人に聞いてもパー券が入った封筒は見つかず、戻ることになりました。

 

戻ると、サークルのリーダーにはもう話が伝わってたみたいで、『失くしたんだって?』大丈夫だなんとか代表につたえて面倒見てもらったからと言われて、『あ、そうなんだ、自腹じゃなくて良かった』と思った、反面、なんかやけに話がスムーズに進んだなと思いながら、事件は済みました。

 

そしてイベントが始まり、海での大きいイベントなので5か所行き来自由だったので、チケットの事もあり暴れ、踊りまくりました。若さもあったので多少疲れてたけど朝までコースには慣れていたので難なくイベントが終わり、機材をかたづけて、さあ帰ろうとなり、レンタカーの返却時間も24時間で借りていたので男四人でS運転で海を後にしました、

 

S『俺酒飲んでるしまじで眠いからみんな寝るなよ』

 

3人『あーい頑張ります、事故んないでくださいよ』

 

帰りの途中10分くらいまではみんなでなんとか眠さを盛り上げようと頑張って変なテンションで盛り上がってたと思います。

 

そしていきなり「ドン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

「え?!」すごい音がして何があったのかわからず周りを見ると、自分たちの今乗ってる車が、反対車線に斜めの状態で止まってるんですよね。

 

何が起きた?後部座席で衝撃で前のシートに顎と胸をぶつけたので、胸痛い、最初痛い夢かなと思ったけど現実でした。隣に座ってた後輩は運転席側だったので、更に強打したみたいで痛そうでした。

 

要するに、居眠り運転をしてしまい、しまいには対向車線にはみ出して突っ込んでいったみたいでした。

 

Sはすぐに外に出てって、相手の方と話していました。相手の方も良い人で車の通りが少なくてよかったとか言ってくれてて、本当にそのとうりでした、もし運が悪く数分,数秒違ったらどうなっていたか考えるだけで恐ろしいです。

 

そして『Sはもう先帰っていいよ』と言って、私たちは現場を後にしました。

 

今振り返ると、チケットの件も含めSがいろいろ怪しるので、それからもう少しづつ距離を置くことにしました。

 

親以外の人の車を初めて乗った日が事故を体験した日なので、そいつの車はもちろん、他人の車に乗るのもしばらくはトラウマでした、

 

僕自身大型免許も持っているので、運転は好きですし他人の運転はまだ不安があります。

 

なにやともあれ、こんな無茶な遊びをしたことに反省しなければいけないです。

 

皆さんも、良かれと思って付き合ってる人間関係でしたり、楽しい時があってもひょんな事で最悪の事態になることもあるので、あまり欲を出さずに無理なく過ごしてもいいかもしれないですね、

 

僕はそれから付き合い人間関係なんかも考えるようになりました。

以上、今日は最悪・・・金盗まれたられたうえに交通事故。。『1年8か月でー23kg減量…人生苦ありゃ楽なし...瀬戸ぎわ人生感blog』を伝えさせていただきました。

皆さんの声が力になるので楽しい、共感したなと思っていただけたら、  フォローお待ちしています。

それだはまたお会いしましょう。この先皆様に最高のLifeを....☆

 

まだまだ旅は終わらない。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=OA5z2VQHPtM

 

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前回の続きのギャルサー

足を運んでいただき有難うございます、今回は前回の続きのギャルサーの事について話して行きたいともいます。

 

ギャルサーでクラブイベントやパーテイーに参加できるようになって、チラシにも載り、まあまあ名前が知れていきました、サークルが出来てから半年くらいですかね、そしたら色々な小さいサークルとか、ただひっそり活動するだけの和(なごみ)サークルとやらもでてきて、数えきれないほど増えていきました。そのうちに姉妹サークルとか兄サークルとか弟サークルとかも出来てよくわからないです。

 

そして、当時札幌で一番盛り上がってたキングムーというクラブがありました、たいていそこで、イベントを開催してたんですけど、イベントに参加できるってことはタダではいれて、でかい面してイベンターみたいな顔できるなと、思っていたら、【チケットノルマ!!】!!みたいなおまけがあり、

 

今まで集まってミーツだけしかしてこなかった私は大きな問題です、しかもまだ高校生ですから顔も広いわけないですし金ないしやるのは夜だし、パー券(パーティー券)を売るのも一苦労ですよ、

 

当時、僕は全日制の学校に行ってたんで、ギャル男にもなりきれてないですよ、私立で偏差値が低いのに拘束がやたら厳しく、頭髪検査も半月に一度あるので、髪の自由もできずにギャル男気取ってこれからパー券をさばこうとしている売るわけですよ。

 

やっぱり周りは定時制とか、学校行ってないでギャルサー命みたいな人たちが日々目に映るので、俺も髪染めてえな、やめてえな、だりいとか思うようになるんですよね。で、服装も変わってくるんですよね、ムートンブーツはいたり、昔のヤマンバ(ギャルの最強級)を目指しかけたり。

 

そんなんでパー券売りを始めていくんですけど、高校終わったら街に繰り出してビラ配りが始まります、結局見た目も髪型もギャルには程遠いんので中々うまくいきません、ノルマは最低5枚ですけど一枚1500円なので、

 

自腹を切ると当時の高校生の僕からしたら一万円近くはマジできついです。。そしてネットでも声を掛けますが当日大体来ないんですよね、ドタキャン音信不通は当たり前でした。そして当日チケット余ったまま、最後の望みをかけてCLUB入り口前を陣取って声かけると、

 

意外と道行く人って不思議ですね、足がとまるんですよ、一か月も前から声かけてきて全然売れなくて、当日に目の前に立つと、5,6人とか一気に入るんですよ。なんか悲しいのか嬉しいのかわからないですが不思議な気持ちになりました、

 

当時は結構年齢確認とかもゆるくてほぼしていませんでした、それだけ必死でした。もちろん自腹切る者もいました。なんか想像していたのと、クラブを手伝うのが違ったなと感じた瞬間でしたね。

 

当時クラブの日は親がうるさかったので夜中静かに家を出て、制服持って街に繰り出し、クラブにいき朝寝ないで学校に行くということを繰り返し、なんか周りと生活が違いすぎて学校もつまらねえなーとか思っていました。

 

次第に調子に乗って髪をメッシュにして、鼻と口にシリコンピアスはめて、学校の日は黒スプレーして制服だけど自由だみたいな優越感に一人で浸ってた時に、ある日髪にムラがあることが学年主任にばれました、その結果、ギャル男の命の襟足を工作ばさみで襟足を切られ、おまけに周りもちょうどよい長さに工作ばさみで切られ、おかっぱちゃんになりました。うちの学校先生が平気で生徒の髪切ってましたから、女子は100均の化粧落としで化粧を落とされてブチ切れてる人もいました。

 

いやいやもう大変ですよ。襟足が無いから、なるべく襟足をブレザーの紺色の襟に被せようと頭をあげながら過ごすので毎日疲れます。その日からしばらく一般の髪してる人さえ羨ましく感じたのは言うまでもないです。   ほんと訳が分からないくらい自由ができない結果悲惨な結末が起きましたね。

 

その後、僕はパッチエクステというものを買い何とか過ごしてましたが、ギャルサー活動はそこまで来るとお手上げですね。なにもできません、こんな髪なので次はそこそこ名前が通ってるギャル男サークルに誘われました(笑)全員男です、とりあえずそこに名前は知っていたので入りましたが、

 

 

今までのサークルより大きかったので、イベントのノルマもきつくなりました、そんな日々で、海で行われた野外イベントが本当に最悪な結末でした!!

今までのサークルより大きかったので、イベントのノルマもきつくなりました、そんな日々で、海で行われた野外イベントが本当に最悪な結末でした!!

今日は飽きてきたと思うのでここまでにします、周りから良いと思うように見えても蓋を開けたらつらい現実が待っているんだなと思いました、

 

まあ、でも良い経験です、

 

では、おやすみなさい。あなたのスキが力になります。

ギャルサー時代やギャル

今は中々ギャル男とかギャルとか見ないですね、もっと言うとガン黒とかも聞かないですよね。

 

僕が、中高時代はガン黒、日サロなどめちゃくちゃ流行りました、その時は高校帰りなんて寄り道程度な感覚で週3位で日サロに行っていたわけですよ。

 

さらに、学割なんて効くお店がほとんどだったんで、学校が終わる夕方頃なんて予約は取れなかったりするくらい流行っていました。

 

僕の高校も中々の偏差値の学校で偏差値だと39くらいかな?

 

やばいでしょ。笑 鼻で笑ってください笑

 

それで、男女比が8:2で男が多かったのでギャル男も繁殖していくような環境だったので、黒いのが普通でした。

 

そんな時にギャル男や、ギャルで日サロで焼いているならサークル所属していないと『ぱギャル』=『半端ギャル』みたいな言葉があって、どこのサークルにはいってるとかサークルに入ってないと、だせぇみたいな感じがありました笑

 

そんなことで、僕はすかさずそのときmixiでサークル立ち上げたみたいなのを見つけて、元々有名ギャルサーの人が立ち上げたみたいな、まだ出来て間もないサークルにオープニングメンバーとして加入しました、今で言えばベンチャー企業的な立ち位置ですかね⁇

 

それで、ギャルサーて週何回か集まってミーツていうのがあるんですよね、言えばミーティングというやつです、

 

その時は僕は出身が北海道なので、すすきのマック、狸小路ロッテリアなど、で時間日程決めて集まるんですけど、集まった結果だべるだけです、唯ひたすらお話します、集まって話したら満足でそれで解散していきます。

 

さらに、大通り駅の南北線改札出口に三越前というのがあって、当時はそこが待ち合わせスポットで有名でした。渋谷のハチ公前くらいの立ち位置位の知名度でしたね。

 

そこで、地べたに座ってミーティングとかもしだす訳ですよ、当時は恥ずかしさとかサークル人だからみたいな感覚で居たので、普通にやってました笑

 

今居たらやばいな~

 

そして、やっぱりこんなミーティングばかりをしていてもサークルの活動に疑問をもってくるわけで、次第にCLUBやパーティーの協賛やイベントに参加出来る様に活動をシフトチェンジしていくんですか、

 

まだ参加したこともない我々は主催してる人達にコネクションをとって参加させて貰えるか、アプローチをしていきます。

 

僕の加入してたサークルは有名なところから立ち上げたところだったので、話が早く意外と直ぐにパーティーやクラブに参加できるようになりました、

 

パーティーやイベントに参加するのと、ただ集まってミーツ活動をしているサークルの立ち位置がその当時は雲泥の差だったので、すごく嬉しかったですね。

 

なんせイベント毎にフライヤーという、チラシやパンフレットが作られるんですが、そこに、関わっているサークルの名前やたまにはメンバーが載るんで、知名度があがったりするんですよね。

 

実際に、その時は『前略プロフィール』という、今のblogみたいなものがあって、それはサー人がやっているのは当たり前だったのでした。さらにアクセス数が見れるのですが、活動の幅を広げてからアクセス数も増えていくのがわかりました。中々今みたいにSNSが無い時代ですし嬉しいですよね。

 

そして、少し有名になってくると、名前を見てサークルに入りたい人が前略プロフィールとかから絡んできて、加入したいですとかメッセージくるんですよね、

 

サークル活動広がりと共に新たなメンバーも参加するといった、会社で言うと事業拡大なんかと似たような感じですかね。

 

はい、飽きてしまうと嫌なので本日はここまでにします。

 

今日はギャルサー時代の加入の部分や日サロから始まり見た目だけではなく、活動をして自分の価値観の幅を少しでも広げるていくような感覚の話しました

誰得?てなるかもしれませんが、まあ優しく見届けてください。

 

次回はCLUB、パーティー活動に広がってどの様な日々を過ごしたか、お話しようと思います。

 

本日も見ていただきありがとう御座いました。

 

またお会いしましょう。

ギャルサー時代やギャル

皆さん本日も『1年8 か月 でー23kg減量…人生 苦ありゃ 楽なし...瀬戸ぎわ人生感blog』に足を運んでいただきありがとう御座います。

今日は今は珍しい時の話をしていきたいと思います。